3月11日何をしていましたか?

超個人的な昨年の3月11日の話です。去年のその日、都内のオフィスで仕事中、ふわんふわんとした、揺れがありました。会社は4階建てビルの4階。新築間もないビルだし、横揺れでゆったりしていたので壊れる事はないと、勝手に安心はしていました。しかし、その後、何度も揺れが続きました。隣の大手企業は、外の駐車場に避難を始めました。そのうち、港区の防災センター(?)から、町内放送が何度の流れ、けたたましい警報とともに「津波はありません」というアナウンスが流れ続けました。警報が恐かったです。でも、揺れが横揺れで、ゆっくりだったため、棚から物が落ちるなどの被害はなかったし、都内はそんなに被害はないと、勝手に思っていました。TVはなかったので、USTREAMで流れるTVを見て、最初、津波の映像の意味が分かりませんでした。これ、現実?そのうち。ビルのエレベーターが止まっている事。電話がつながらないこと。都内の交通機関が完全に麻痺していること。これは帰れなくなるかな。と思い始めました。固定電話はまだ、つながりやすく、仕事の電話もちらほらありましたが、ケータイがまったく繋がりません。docomo、auはまだ繋がっていたようでしたが、softbankは全然繋がりませんでした。ネットは繋がったけど、メールもダメでした。twitterは見られるのに、投稿がダメで、大丈夫? という投稿は見られるのに、自分の安否を家族に伝えられず、イライラしました。結局繋がったのはviberでの通話でした。お財布に現金があまり入っていなかったので、コンビニのATMに行ったら、パンや、おにぎりなどのお弁当、ミネラルウォーターの棚が空っぽになって、レジに並ぶ列が店内を一周していました。夕方になり、帰宅する人の列が、歩道いっぱいに行列を作り、見た事のない光景が広がりました。覚悟を決めて、会社に待機することにしましたが、JRが終日動かない事をニュースで知り、自宅まで電車で1時間以上かかる私は帰宅難民決定。9時を回ったあたり位から、私鉄はポツポツ動き始め、帰れる人は電車に乗ったり、徒歩で帰宅を始めました。私は友人宅に泊めてもらう連絡がとれ、メトロで渋谷に到着。JRは駅封鎖、私鉄は改札前に長蛇の列。バスターミナルは人ごみでごった返し。駅ビルの通路は帰宅難民となったしゃがみ込む人で溢れていました。この光景はちょっとショックを受けました。目に見えての被害はほとんどない都内。なのに交通機関は完全に麻痺。交通機関の麻痺で、街の機能は停止していました。飲食店も全部閉まっていましたからね。相変わらず歩道は帰宅する人で溢れ帰り、途中道沿いの学校などでは、ずいぶん帰宅困難者の一時避難の誘導をしていたようでした。でも、普段歩かないような土地勘のない場所で、学校などは大通りに面しているわけでもないので、ほとんどの人は立地がわかりません。利用者は少ない様子でした。友人宅で翌朝を迎え、ニュースで事の重大さを再認識。JRはまだ動いていないようでしたが、私鉄とバスを乗り継ぎ帰宅したのは12日の夕方。お風呂に入って、泥のように眠りました。

Rinko's Mini Diary

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